職場でちょっとしたことをやらかしてしまいました。
いや、ちょっとじゃないです。
で、その事から感じた現在の状況と、受け取った警告について考えてみたいと思います。
やらかしてしまった出来事とは
職場で何をやらかしたかというと、窓ガラスを磨いたら、余計に曇って真っ白になってしまったのです。
それは、水道水による水垢だと思って磨き続けていたところ、それは、水垢だけではなく、いろいろなものが混じったものでした。
職場の人が、酸性の薬剤で磨き続けていたので、酸焼けが起こっていたのを、私は知らずに、更に酸性の薬剤をかけて、その上、ラップやキッチンペーパーで浸け置きをして、そのペーパーで磨いたことにより、酸焼けを増大させてしまったのです。
真っ白になった窓ガラスを見たときは、茫然となったのですが、それ以上に、いつも窓ガラスを磨いてくれている職場の人に、作業報告をしたところ、
「自分がどれだけ手を尽くしても綺麗にならなかったのだから、無理だと分かっていたけれど、時間をかければもしかして出来るのでは?と思った」と言われ、足元から崩れ落ちるかと思いました。
それならそうと、最初に言ってくれれば、薬剤の量や種類、つけ置きの時間を考えたのに、なぜ終わってから?
しかも、当然だと言わんばかりの表情に、「無理をして…」と心の中で笑って見ていたことを感じ取れて、悲しくて仕方ありませんでした。
そこからどんな感情があって何が一番大きく感じているのか分析してみる
その晩、ガラスの修理代を弁償しようと思い、上司に連絡したのですが、繋がらず、その夜は眠れませんでした。
悪かったのは明白なので、それだったら、後悔ってことになるのですが、それだけの感情ではないモヤモヤがあり、この感情が何なのか、分析して考えてみることにしました。
すると、他の人が試したことのない薬剤で磨いてみるので落ちないはずがないという驕りの感情と、他の人が気がつかないのに気がついた私は偉い!という感情が出てきました。
更に、「自分がどれだけ手を尽くしても綺麗にならなかったのだから、無理だと分かっていた」と言われた時の、その人の表情を思い出し、見下された気がしたのです。
バカにされているかも知れないことも知らず、得意満面になって窓を磨き続けていた自分が可哀そうに思えたのです。
そして、当然ですが、ガラスを修理するのに費用がかかります。
とても、その職場での1日の働きで払える金額ではありません。
その費用を支払うために何日間勤務すれば良いのか?
?何のために働いているのか?って思考が働いているのです。
更に、その先にあったのは、一刻も早く仕事を辞めて、それでも安心して生活していけるようになりたい自分。
でも、それに程遠い現実に愕然とし、情けなさに押しつぶされそうになりました。
今回のガラス真っ白事件の裏には、なりたい自分から、程遠いところにいる現状を悲観して、前に進めなかったと言う思考と現実。
そして、自分を否定している感情が一気にあふれ出てきました。
自分の人生なのに、どんどんなりたい自分から離れて行っていて、何かに操られているような感覚の現状を振り返りました。
私が一番大切にしていることは何だったのか?と改めて自分に問いただす時間となりました。
依存したくないから自分ひとりで何でもしなければいけないと思っていた
その頃の私は、何でもかんでも「自分でなんとかしなければ」と思い、自分のことばかりではなく、人のことまで踏み込んで、「私が何とかしなければ」と思い込んでいました。
それなのに、何も出来ない自分にガッカリして。この先、どうなるのか?と、無力な自分を責めて、どんどん気持ちが落ちていっていたのです。
人の感情と波動に引きずられていました。
それで、日々感謝の心を忘れ、与えられているモノよりも、無いものにフォーカスして、でも、痛みは取りたくないので安全な方向を選ぼうとしていました。
なのに、自分が何とか…と思いが強すぎて、心と体と行動がバラバラな状態でした。
常にニュートラルな状態にしていないとバランスが崩れて良いアイデアが浮かばないし、体の状態も悪くなります。
だから、自分ではバランスがとれていて波動が高い状態を維持していると思い込んでいたんです。
全くおかしな日々を送っていました。
唯一、私ってエライ!と思ったのが、こんな状態になったのを人のせいにしたり、責めたりしなかったことです。
そんな対象がいなかったってこともありますが、その人の価値観に沿ったアドバイスや提案をしてくれていて、それを選んだのは自分なので、責めてもその感情が返ってくるのは自分だと分かっていたんです。
<参考>役に立たないと思うのは、あなたの価値観に合っていないから
そこから学んだこと
なりたい自分をかけ離れている現状。
でも、その未来のなりたい自分を望むのであれば、相当の覚悟をしなければいけない。
だから、本当に覚悟があるのか?
それは、現状に甘んじているのでも、力まかせに推し進めるものでもない。
心が喜ぶままに、誰かに喜んでもらえるように。
と、警告とともに教えられた気がしました。
全てのことは先の自分につながっています。
楽しくない日々を送っているのであれば、楽しくない未来が待っています。
綺麗にならないものを、更に力を入れて、傷が深くなるだけです。
現在の妨げの下人となっているものを取り除くのが先決です。
そのためには、その道の専門家の力を借りなければいけない事があります。
自分だけでは難しいことがあるのです。
人の力を謙虚に受け止め、なりたい自分を目指す覚悟が本当にできているのかと、窓ガラスを通じて問われている気がしました。
気持ちを楽~にがんばりすぎない。
ひとりでは難しい時は人の手を借りす。
でも依存しない。
人の人生を引き受けない。私にできるのは手助けのみ。
職場の窓ガラスから大いなることを学びました。
ガラスの弁償はそのための授業料だと思えば安いものです。
本当の覚悟。
私に備わっているのでしょうか。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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