↑の話のつづきです。
私は、大切なご先祖さまの関係性やお名前をハッキリと知りませんでした。
父の弟(らしい)。その子供(らしい)。
そんなふうにボンヤリと知っているって感じでした。
一度、家系図を作ってみると先祖への感謝の念も深まると聞き、家系図を作ることにしました。
その時に行ったことと、衝撃の事実を知ったことをお話したいと思います。
除籍謄本を取り寄せる
家系図を作ろうと思ったのは、10年以上前。
その時に本当はつくっていたのです。
と言うか、作ってもらったのです。親切な友人に。
彼女は今何をしているのだろうか…。
…。
家系図の話に戻すと、彼女に家系図を作るために準備しなければいけないものを教えもらいました。
それは、自分から過去さかのぼっての除籍謄本や戸籍謄本。
両親の除籍謄本から、その親(私にとっては祖父母)が分かり、その人たちの謄本。
更に、その先の先祖の謄本…と言った感じで、できるだけの謄本を集めるのです。
私の本籍は、現在住んでいる場所とは違っています。
両親の本籍も違います。
それぞれの地方の役所に連絡して郵送していただかなければいけません。
両親の親の苗字は分かるけれど、その先の先祖の苗字は微妙です。
父方は変わっていないことが多いけれど、母はほとんど変わっているので、祖父の謄本から祖母の旧姓を知り、そしてそのご両親(私の曽祖父母)の謄本を取り寄せる。
と、地道な作業でした。
母方の祖母の本籍地の戸籍担当者はとっても親切だったことを覚えています。
当時は除籍謄本の保管期間は80年。
必死で急いで取り寄せました。
現在は、150年になっているようです(でも、80年だった時に廃棄している可能性もあります。)
自分で家系図を作ることを決意
謄本を取り寄せ、「ふぅ~ん」と言った感じで、特に感動もせず、家系図を作ってもらうために知人に預けました。
が、知人はお忙しくてなかなか私の手元に戻ってきませんでした。
それでも、時間をかけて作成してもらったのですが、間違いがいっぱいで、作り直すと言ったきりになってしまいました。
その前に、謄本類を返してもらっていたのが救いでした。
そして、そのまま忘れていたのですが、10数年後、自分で作ろう!と決意。
除籍謄本との格闘です。
自分の名前を書き、その周りに妹たち、そして両親。
父の兄弟姉妹、両親。母の兄弟姉妹、両親。。。というように、どんどん遡って記入していきます。
こんなに兄弟姉妹がいたのか…。
長男と末っ子では親子ほどの歳の差があるのか…。
など、いろんな事を考えながら作成。
数日後に完成した時は、達成感でいっぱいでした。
母は長女だったけれど次女だった
私の母は長女でした。
が、実は次女だったのです。
全く知りませんでした。
母のお姉さんは、生まれて数か月で他界していたのです。
更なる衝撃が、そのお名前。
「一枝」さんです。
鳥肌がたちました。
わたしは一枝と書いて「ひとえ」と読みますが、漢字、読み仮名ともに、とてもとても気に入っています。
その名前が、私が知らなかった母のお姉さんのお名前と同じ。
この偶然は何なのか?って。
そして、数か月前に、私のところに、誰かが来た気がしました。
といっても、実在の人物ではなく、来たという感覚です。
その時、咄嗟に「伯母さんだ」と感じたのです。
でも、私に亡くなった伯母はいませんでした。
気のせいだったのか…思っていたのですが、家系図作りの中で、長女だと思っていた母が次女だった!
お姉さんがいらっしゃる!
母のお姉さんがの存在を知り、「あ~、やっぱり」と。
「私は伯母さんに守られている」そう確信しました。
守りと共に祈りのようなものもあるのではないか?と。
「一枝」という名前の先祖は、伯母さんだけではなく数人いらっしゃいました。
よくある名前かも知れません。
でも、それだけではないような…。
また、、母方の先祖に養子を迎えている人がいました。
それほどまでして、絶やさずに命を繋いでいたのです。
そんな先祖の祈りのなかで与えられた、わたしの命の時間。
大切に過ごしていかないといけない。
生きる決意を新たにし、私をこの世に送り出してくださった先祖に感謝でいっぱいです。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
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