「本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~」という小説をご存じでしょうか。
私はアニメで知ったのですが、「小説家になろう」に掲載されていて、アニメ化されたようです。
私は、このアニメから、最高価値に生きる尊さを感じました。
という事で、「本好きの下剋上」から最高価値について考えてみました。
最高価値に奮戦する姿は眩しい
私が初めてこのアニメを観た時に、「最高価値に生きるとはこういうことなんだ…」と感じたのと、その姿は自分の目指す姿でもあると感じたのです。
簡単なあらすじは、本好きの主人公が、図書館への就職が決まった日に亡くなってしまい、本がない異世界の子どもになっていた。本を手に入れるために現代での知識を活かしながら悪戦苦闘の末、徐々に出世して本を作り出してしまう話です。
主人公は「本を読みたい」その一心で、ひたすら努力を積み重ねて、決して諦めません。
私は、この主人公の性格は、いまいち好きになれませんでした。
好きになれないと言うか、多分、羨ましいのです。
だから好きじゃないといった感情になるんです。
ハッキリと自分の考えを言って、最高価値に一直線で、ブレることがない強い意志。
生まれ変わる前の知識の活かしどころを心得ていて、聡明。
だからこそなのか、大人に媚びず、卑下もせず、引けを取らず対等に会話して取引している。
だけど、知らないことをバカにしている態度がチラチラ見える。
小賢しいという表現がピッタリするような場面があり、何だかイライラするんです。
でも、やっぱり、羨ましいんです。
私が子どもだったら、媚びるか卑下するか、とにかく自信がなくて、顔色ばかり伺うのではないか?って気がします。
そして、大人の頭で子どもになったのだから、私だって、今、子どもになったら、今の知識を存分に活かすことができると頭で考えるのです。
でも私だって、いろいろ知ってる!。。。と思ってはみても、知っていたとしても、その活かしどころが分かりません。
どうやって、新しいことに変えていくのかが分からないでしょう。
それを簡単に(そう見えるだけだと思いますが)やってのける。
架空の物語だから出来るのだと言ってしまえばそれまでですが、学んできたことを存分に生かして最高価値を手に入れるために奮闘する姿は眩しく清々しくさえ思えます。
必ず出来ると自分を信じて行動するとサポートしてくれる人が現れる
そんな主人公も、心が折れることがあるんです。
いくら頑張ってもどうにもならないのなら、もう消えちゃってもいいんじゃないかな?
ってセリフがあるのですが、以前の私の気持ちそのものです。
その気持ち良く分かるし、そうだそうだ!と頷きながら聞いていました。
でも、主人公は復活します。
必ず「出来る」と。
そこが途中で諦めて何をやってもダメだと絶望しがちな私とは決定的な違いです。
諦めない心があるから、周りもサポートします。
そして、そのサポートを一方的に受けるのではなく、双方にとってプラスとなるように話をつけて、結果、良い取引となっているのです。
人が喜ぶことを提供して、なおかつ、自分の利益にもなる。
理想の姿ですよね。
最高価値を道しるべにしていると迷っても迷子にならない
私が観ている転生アニメは、異世界で子どもに転生するって話が多いのですが、それにしても、6歳で「純利益」などの難しい言葉で大人と交渉する子どもって尊敬です。
元が大人だから当然と言えば当然ですが、その経験を活かせるかどうかも、当人のセンスと相手を思う気持ちとタイミング。
それらが、うまく重なって出来るのでしょうね。
それもこれも、最高価値に突き進むからこそで、自然と自分のエネルギーが発揮できるんですよね。
私の最高価値はこれだ!と思っても、日にちが経つと変わっていきます。
それは、私に覚悟と信念がないからなのか、波動がどんどん変わっていくのか、単に気が変わりやすいのか?と情けなく思えることがあります。
でも、よくよく価値観の洗い出しをすると、その根幹は変わっていないんです。
形を変えて表現されるから変わっているように思えるだけなんです。
それに気がつくまで時間がかかりました。
今は、根幹の価値観を道しるべにして、迷ったとしても戻るための道を作る方法を考えられるようになりました。
アニメの主人公のように、最高価値に向かって一直線!という訳にはいかないのですが、それでも、自分の心が分からなくなり、道に迷って迷子になって戻れなくなっていたことを考えるとスゴイ進歩だと思います。
あなたも、ご自身の最高価値を明確にして、それを道しるべに生きてみませんか?
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
関連記事