人はひとりではない。いい加減に生きると間接的に影響を受ける人がいる

偶然、とてもお世話になった人のSNSを見てしまいました。

すると、私のことが書かれてありました。

もちろん、名前は伏せてありますが、多分、数人には私のことだと気がついているのではないかと思います。

私にとっては、あまり気持ちの良い想い出ではありません。
むしろ、思い出したくもない出来事です。
今の私の苦しみの要因とも言えることです。

でも、その人にとっても、大きな大きな出来事だったのだと知りました。

私によって、その人が今後、お仕事をしていくうえでのマインドセットを作られたと書いてありました。

最終的に何を言いたかったのか本心は分かりませんが、その人と最後にメールで会話をした時に、私に感謝していると言っていたのは本当だったのだと知りました。

正直、その言葉を信じていなかったのです。

私にとっては苦しい苦しい出来事で、その為に、生きるか死ぬかの状態で過ごしていました。

でも、必死でした。
その人も必死で向き合ってくださいました。

そして、その必死は、私以上だったのだと知ったのです。

今はもう、お会いすることはないのですが、感謝と憎しみが入り混じった心境で思い出される人です。

その人のマインドセットを確立するのに、私が大きく関わったと言うのですから驚きです。

私との時間は、本当に人と向き合うという事は?本当の覚悟とは?と問いかけられていた時間だったそうです。

私は、その人と向き合っていた日々の間中、生きている意味がないし、何の役にも立っていないと思い、さっさといなくなれば良いのだと思っていました。

早くお空に逝きたいと、願ってやまない日々でした。

でも、その人の言葉を読んだ時、もし私が本当にお空に逝っていたとしたら、その人の心に大きな大きな傷をつけることになり、また、もしかしたら、その人も現在の仕事を辞めていたかも知れません。
辞めないまでも、心がぐらついていたかも知れません。

とすると、現在、その人に関わり、学び、導いてもらっている人は、その学びを受け取れなかったかも知れません。
希望の道がなくなっていたかも知れません。

代わりの人はいくらでもいるかも知れませんが、受け取るものは微妙に違います。

私が生きるのを諦めてお空に逝っていたら、お空に逝かなくても、いい加減に生きていたとしたら、その人のみならず、多くの人に迷惑をかけていたのです。

私はひとりで生きているのではなく、多くの人に守られ、そして、影響を与えて生きているのだと知りました。

その時、「あなたの存在こそが愛で、あなたは生きているだけで人の役に立っているのです」と言ってくれた人を思い出しました。

決してひとりではないし、役に立っていない人間なんてこの世にはいないんです。

苦しい苦しいことが長く続くことがあっても、それは、その先の目的のために必要な時間なのです。

私の場合は、いろんなことから逃げて逃げて逃げ続け、それで、現状が良くならないと嘆きながら生きてきました。

そんな状態から変えようとするのであるのならば、余計に困難が大きいのです。

困難や苦しみは必要だから与えられるのです。

その人との学びの時間は、自己否定の時間でもありました。
でも、必要な時間だったのだと心から分かった瞬間でした。

ほとんど見ないSNSをちょうど見てしまったのも、見たと言うよりも何か大きな存在によって「見せられた」のでしょう。

私は守られています。

感謝です。

最期までお読みくださいましてありがとうございます。


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