「じゃあ、また」は、もうないことを知っているよ

「あと3回、君に会える」というドラマを見ました。

出会った人と、あと何回会えるのか見えるという能力を持った人のラブストーリー(?)でした。

「じゃあ、また」と言って別れて、二度と会えないって分かってしまうって切ないですよね。

出会った瞬間に、あと何回会えるか分かってしまうのは淋しいなと思いながらも、最初から、その覚悟で付き合えるから良いのかも?と思いながら見ていました。

私は、「じゃあ、また~」って希望のある言葉ですが、残酷な言葉にも感じます。

また!と言って、二度と会えない人もいますから。

それは、生死関係なく。

私は、若い頃は、「また~」と言って、会えなくても特に何とも思っていませんでしたが、大人になるに従って、「また~」って言ったのに…と寂しく思いながらも、私がダメだから誰も会ってくれなくなるんだと思うようになりました。

そして、どうしたら、ずっと縁が切れずに付き合うことができるのか考えるようになったのです。

そして、思い立った時に、こまめに連絡を取るようにしていたのですが、その連絡先も変わっていき、連絡先が変わったというお知らせがなく、出した手紙やメールが返ってくる。

電話は「現在使われておりません」とのアナウンスが流れ、もう終わったんだなって気が付きます。

やっぱり私はダメなんだと、虚しくて悲しくて仕方ない想いでいっぱいになってしまいます。

そんなことを繰り返して、最近はようやく気が付きました。

仕方ないことなんだと。

その人からの学びの時間は終わったんだと。

生きる場所、ステージ。生きていく想いが違うのだから、いずれは離れていってしまう。

ご縁があれば、同じ波動を持っていれば、再び出会うこともある。

その時は、その出会った瞬間を大切にすればいいだけ。

そんな当たり前の簡単なことに気が付くのに、何年もかかりました。

自分を責めて、相手を責めて、余計な想いや時間を過ごしてしまいました。

でも、そんな時間があったからこそ、瞬間の大事さを知り、人に依存していた自分を知ることができました。

「じゃあ、また~」だけれど、もう会えないことも知っています。

覚悟しています。

だから、今日、私と出会う人たち、ありがとう。

今まで私と出会ってくれた人たち、そして、これから出会う人たち全てが奇跡の連続です。

感謝です。

 

お読みくださいましてありがとうございます。


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