自分だけの力では、社会に復帰することは困難ではないかと思い、保健師さんに相談に行ったもののガッカリした結果になってしまいました。
それでも、今の状況を何とかしなければいけないことには変わりなく、住宅確保給付金の相談に行ったのですが、再就職支援を受けることとなりました。
⇒ 前回のお話
みんなが出来るのに自分はできない絶望感
再就職支援と言っても、専門のカウンセラーと一緒にハローワーク求人の中から、再就職先を決めると言うものです。
話を聞いてくれるカウンセラーがいると言うだけで、特に支援があるわけではありません。
生活困窮者を雇えば、その企業に給付金が支払われる制度があるらしいのですが、自分が生活困窮者だと発表する気にはなれないので断りました。
だから、ハローワーク求人に応募するだけです。
カウンセラーと話をした後は、生活総合支援の相談員と面談しなければいけません。
その時に、募集求人の給与が低いと生活していけないと話をすると、「でも、働かないよりは良い。みんな、その給料でやりくりしてやっているのだから、あなたも同じようにしなさい」と言われます。
「みんな、そうしている。だから、同じようにしなければいけない」
それは、私にとっては呪いの言葉でした。
みんなと同じことが出来ない自分。
やっぱり、自分はダメなんだと思い悩む日々。
こんな呪いの言葉のために私はこの場所にきたのだろうか?
情けなさと後悔。
そして、再び、私は何をしたかったのか?どうなりたいのか?
どんどん気持ちは落ちていきました。
そして、相談にのってもらえる場所の前には、定住先のないような人たちが、日雇いの仕事をもらうために待っています。
仕事がなかった人たちはベンチで座っています。
その姿を見ながら、「みんな頑張っているんだな」と思うと同時に、将来の自分を重ね、また、亡くなった父を想い出し、私もその仲間に入らなければいけないような、引っ張られる気分になります。
引っ張られてはいけない。
そう思うと、センターに通い続けてはいけないと思い、センターの支援を断りました。
働きなさいと言われただけの支援。
支援を受けることは、何かを与えてもらうことに期待していたのだと気がつきました。
気がついて、何とかしなければ!と思っても、どうして良いのか分からず、「もう良いかな」と思った時に、ひらめいたのです。
この世の中に居場所がなくても、お空にはあるかも知れない。
そうかー。ベランダから飛べばいいと。
ハローワークなどに行くには、玄関から1歩出て、そこから2歩も3歩も進まなければいけません。
でも、ベランダからなら、1歩ですみます。
それは、とてもとても魅力的に感じました。
そして、それを実行するのはいつにしようかと考える日々になったのです。
お空に逝くキッカケ探しを始める
お空に逝こうと思ってからは、その方法を考えることとなりました。
賃貸のマンションを事故物件にすることはできません。
賃貸契約を解約して、どこかに行って、ひっそりと逝くしかありません。
でも、どこに行っても誰かに迷惑がかかります。
だったら、誰かに迷惑をかけるのが申し訳ないとかを考えずに、自分が一番きれいに終われる方法を考えようと思いました。
そんな想いが強すぎたのか、目につくものは「自分でお空に逝った人」が書いたブログや本ばかり。
毎日毎日、お空に逝く「キッカケ」を探していました。
ベランダから外をのぞき、ここから落ちたら、頭から落ちて頭が割れるのか?胸から落ちて内臓がつぶれるのか?とか考えます。
手すりに手をかけてみて、「逝こうか?」と思ったところで、XJapanの曲が聞こえたような気がして部屋の中に入り、少し落ち着きます。
誰のせいでもなく、自分が招いたこと。
だけれど、誰かのせいにしたくて、「誰も話を聞いてくれなかった、助けてくれなかったから私は行き詰ってお空に逝く道を選んだんだ」という言い訳をしようと思っていました。
何か嫌なこと、悲しいことを想像して、それを理由にしようか?と考え、そして、発見された後のことを考えるのです。
警察の人が来て、いろいろ調べて、家の中が荒らされる。
その前に片づけをしなければいけない。見つかって恥ずかしいものは捨ててしまおう。
きっと、警察の人は、「仕事もお金も友人もなく、先行きを不安に思い…」という理由をつけるだろう。
淋しい人生だったと思われてしまうのだろう。
でも、そんな人は多いのだろうなと想像し、私は以前、こんなふうに心が満たされない人が笑顔を取り戻してくれるように、声などで何かを伝えたかったんだと思いを巡らせていました。
このまま終わって良いのだろうか?
でも、もう生き続けるのは無理だよな…と諦めて過ごしながらも、何とかならないものか?と、同じことをグルグルと思考を巡らせ、そして、ダラダラと過ごしていました。
この人の中に私のやる気の理由があると直感する
そんなある日。
なんとかやる気を起こさないといけないと思いながらYouTube動画を流していたところ、「引き寄せの法則」のことを話している人の動画が流れてきました。
自動再生で次々と引き寄せの法則について話をしている人の動画が再生されるけれど、特に心に響くものはありませんでした。
と、そこに、「私のメンターはドクター・ディマティーニです」と聞こえたのです。
その名前に猛烈に興味がわき、即座に検索してみました。
何だか凄いことを他人にシェアしている。
Dr.ディマティーニは、価値観に合ったことをしていないからやる気が続かないと言う。
では、その価値観ってどういうこと?
価値観に合ったことをするって何?
価値観についての疑問がわいていきます。
でも、この人の中に、私がやる気を無くした理由や、やる気を起こさせる方法がある気がしました。
この人にメンターになってもらいたい。
この人にメンターの教えが私の中に入れば、私の人生は変わる。
そう直感しました。
それからは、メンターの教えを学ぶのに夢中になり、お空に逝くことは薄れていったのです。
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