同じ話を聞いて、それを誰かに伝える時には、伝える人によって、若干違っているってことないですか?
それは、話を聞いた人(伝える人)の価値観が違っているからです。
同じ話でも何を感じるかは価値観によって変わる
鶴の恩返しという昔話をご存じでしょうか?
罠にかかって動けなくなっていた鶴を、通りかかったおじいさんが助けて逃がしてあげます。
その鶴はおじいさんに助けてもらった恩返しに、若い娘に姿を変えておじいさんのところに行き、夜な夜な自分の羽根を抜いて織り込んだ布を織ります。
おじいさんは、娘の織る布があまりに美しいので、「どうやったら、こんなに美しい布が織れるのだろうか」と思い、「決して覗かないでください」と言われていたのに、娘が布を織っているところを覗いてしまい、鶴が布を織っている姿を見てしまいます。
姿を見られた娘(鶴)は、おじいさんの元から去って行ってしまう。
と言った内容です。※所説あるようです。
親しまれているお話ですが、読んだ人や聞いた人の価値観によって、感じ方が変わるのではないでしょうか?
私は、「受けた恩をしっかり返した鶴は凄いな~。やっぱ、受けた恩は返さなければいけないし、それは身を削ってってことになるのかな?」って思っていました。
でも、別の人は「覗くなと言われているのに覗いてしまい約束を破るなんて…」と言っていたし、また別の人は、「おじいさんはそれで儲かったんだから十分だろう」と言っていました。
約束を破るなんて…って思った人は、約束は守るべきって考えが、その人の価値観の上位にあるのだろうし、儲かったって思った人は、お金に対する価値観が上位にあるのだと思います。
こんなふうに、受け取る解釈が違うということは、次に同じ話を伝える時には、自分が感じたことを重点的に話してしまいがちです。
だから、伝える人の価値観によって、同じ話でも微妙に違ってくるのです。
それはあなたなりに意味付けしているだけです
昔話など、作者は何を伝えたいのか分からないし、多分、読んだ人の解釈に任せているのではないかと思います。
「この話って、こんな話だったっけ?」って思うことがあるのは、その時のあなたの中にある価値観や想いが変化しているからなのです。
読んだり聞いたりするタイミングでも変わるのは当然です。
自分で感じることは自由ですからね。
自由に感じても、それが自分の癒しや前に進むためになるのならいいと思います。
でも、その感じ方が、嫌なほうに動くのは困りますよね。
そんな時に気を付けたいのは、昔話や出来事などは、現実かどうかはともかく、ただの出来事だと忘れないことです。
そのただの出来事に、あなたなりの解釈や意味付けをしているだけです。
その解釈によって、気持ちが明るくなったり落ち込んだりしているのです。
自分でニュートラルに戻すクセをつける
自分の解釈によって落ち込んだのなら、自分の感情がマイナスに動いているってことなので、戻せばいいのです。
物事には、プラスとマイナスが同じだけ存在しています。
なら、マイナスに動いた感情だけ、プラスを探せばいいのです。
そうしていると、物事に対する認識がニュートラルになってきます。
中間点から物事を捉えることができれば、感じ方や解釈も中立な視点からできます。
起こったことによる感情のブレも少なくなります。
感情のブレが少ないと、気持ちも身体も穏やかに過ごせると思いませんか?
良いことがいっぱいのニュートラルな捉え方が出来れば、同じ話が伝える人によって違ってしまうのも、その人の価値観を知ることができて楽しいかも知れませんね。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
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