「あなたのために〇〇してあげている」と言われたことや言ったことがありませんか?
一見、親切な言葉の裏には、相手に対する「同情」がありませんか。
自分では出来ない人、可哀そうな人、そんなふうに相手を見下して話をして、それが、アドバイスだったとしても、本当に相手のためになることなのでしょうか。
セラピストが個人セッションを辞めた理由は虚しさ?
あるセラピストが個人セッションを辞めてしまい、のちに「いくら相手のためと思っていったとしても、なかなか相手に届かないし、結局何も変わらないことが分かって虚しかった」と言っていました。
何となくわかるかも…と思いながらも、少々の違和感を覚えました。
それって、自分がアドバイスしたのだから、なぜその通りにしないんだという気持ちが感じられたのです。
自分の言っていることは正しい。自分の言っている通りにするに違いないと思っていたのでは?と。
自分は正しいと言う考えは素晴らしいと思います。
でも、その裏には自分以外の誰かを見下す気持ちがあるのではないでしょうか。
相手のためを思う時、それは相手が自分の力で解決することを信じて確信しながら、応援や見守ること。
そして、あなたが相手を信じているのと同じくらい、その人にも自分自身を信じる心を持ってもらう。
再び自分で立ち上がる力を出してもらうようにする。
他人の価値観を入れていると依存につながる
自分を立て直すと言う、自分自身の闘いのような状態になるのを見守る中に、あなたの価値観を入れてはいけません。
「〇〇だから素晴らしい」というような考えは、あなたの価値観に基づいて、あなたが決めたことです。
相手があなたと同じことに価値をおいていなければ、あなたの価値観で動くことになりかねません。
そして、それはやがて、他人の価値観で生きることにつながり、ともすれば、依存になっていきます。
私はあからさまに意見を押し付けられるのが好きではありません。
きっと、あなたも同じですよね。
でも、アドバイスをいただきたいと思うことがしょっちゅうです。
そこで、アドバイスをいただいて言われた通りにしてみます。
でも、自分の思うような効果や結果は出なくて、言われた通りにしたのに全然駄目だった。やっぱり、無料ではロクなアドバイスをもらえないのかも?
他人は役にたたないかも?と嘆いていました。
でも、これ人の言った通りに動いたとしても、自分が心底から望んで行ったことではありません。
だから、行ったことに心がこもるはずがなく、そこで、何かの効果を求めようとするのは無理です。
あくまでも個人の力を信じて、少しの後押し。
それは本人の価値観に合っているのか
アドバイスする人も、される人も、そのアドバイスを受け止めて使うも使わないのも自由です。
相手のために思って言って、その通りにならなかったとしても、それは相手の判断。
受ける側も、せっかくアドバイスをもらったのだから…という卑下のような気持は必要ありません。
そのアドバイスをあなたが、どう思ったのか?
本当に必要だと思えば動いているはずだし、自分の価値観とは違うので自分の思う通りにする!としも、それはそれで良いのです。
でも、何をするにも、その後の責任は自分でとる覚悟が必要です。
個人を尊重して、最高価値に生きるために、持てる力を引き出せるようにする。
簡単にできれば良いのですが、難しいことが多いんですよね。
でも、他人のことを思いやっていれば、きっと簡単なはずです。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
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