MPLというセミナーに参加した時の話の続きです。
前回のお話⇒ 自分の心と向き合う3日間で気づいたこと
MPLに参加して、一番変わったと感じたのは、自分を好きになれたこと。
ここまで必死に生きてきた自分が愛おしく思え、愛せるようになったのです。
今までも、よく頑張っているよと自分で自分を褒めてきました。
でもそれは、自分自身を納得させるためであり、本当に愛している事ではなかったのです。
間違った認識を持っていたことに気づかされる
セミナー前から用意していた質問を最終日にようやくメッセージで送ることができて、博士と一緒に仕事をしているという人とセッションさせてもらえることになりました。
ブレイクアウトルームに入り、「はじめまして」と言ったものの、相手は日本語が分からない。私は英語が分からない。
「えっ?通訳の人は?どうすればいいの?」と焦っていたとき、通訳をしてくれるひとが入ってきてくれてホッと一安心でした。
あらかじめ送ったメッセージ内容を伝えてもらい、それに対して答えていただいたのですが、最初は意味が分からずに「結局、なに?」という感じでした。
(質問内容は「生と死」に関わることなのですが、詳しい内容は、今の段階では少し誤解がうまれそうなので、控えさせてください)
でも、答えていただいたことに更に質問をしていくうちに、私が縛られていた感情が見えてきたのです。
私は同じがん患者さんたちや生活に困っている人たちに、「何とかしたい」「何が何でも自分が助けなければ」という感情が強すぎたのです。
だから、相手と同じ状況に自分もおかなければいけないと思い、同じ病気をしたとしても、治った私には、相談にのる資格はないのではないか?ロクなことを言えずに、逆に落ち込ませるのではないか?など考えすぎていて、しんどくなっていたのです。
それで、結局、何もできない自分はダメだ。
他の人は、どうやっているのだろう?と考えてしまい、やっぱり自分には何も出来ないのだと落ち込んでいたのです。
これは、単なる私自身の思い込み。
そして、人と自分を比べていたのです。
自分自身を信じていなくて、他人の評価を信じて気にしていたのです。
間違った認識になっていたのに、ズレていることに気がつかず、そんな自分の感情に縛られて身動きできない状態になっていたのです。
相手に自分の価値観を投影して自分を苦しめていた
人の話を聞いていくうちに「もし自分だったら…」と考えすぎて、「自分なら、こう思うだろうと思い、だからこの人の同じように考えるだろう」と、自分の価値観を相手の価値観であるかのように勘違いしていたのです。
自分の価値観を相手に投影することにより、知らず知らずのうちに傲慢になっていた状態です。
アドラー心理学でいうところの「課題の分離」が出来ていなかったのです。
恐ろしいことです。
自分を苦しめるために行動していたと言っても良いでしょう。
傲慢になり、何だか違うと感じ、何もできない自分に落ち込み苦しむ。
私にとって、天命とも言えること。なのに、自分を苦しめるから辛くなり、もうこんな思いをするのは嫌だ!と逃げだす。
でも、天命だから、やっぱりそこに戻る。
逃げても逃げても心が求めるのです。
至る所で言われていたことだと思い出す
質問と、ほんの少しの会話。
その中で想いの強さを見抜いたコンサルさんに驚きましたが、その瞬間、私の頭の中で過去のあんなことこんなことが駆け巡り
「分かった」
と思ったのです。
あの感覚をどう表現すれば良いのか分からないのですが、「分かった」なのです。
これまで何度か言われていたことだったのすが、意味が分かっていませんでした。
「ちょっと思いが強すぎて…」という断り文句を言われることが多かったのですが、それらが、全てつながったと言った感覚です。
私に出来ることは、ほんの少しの手助け。
それを、「私が何とかしてあげなければ」と思うのは、その人の持つ力を信じていないことにつながっていたんですね。
そして、ある時には、人に期待しすぎて感情移入していたのです。
これは、自分自身も相手にも失礼なことです。
誤っていないと思い込んでいた思考がズレていたことに気がつけました。
長年、自分で自分を縛り付けていた思考が和らいでいきました。
あの感覚は「感謝」ですね。きっと。
そして、勘違いしながらも必死に生きてきた自分が好きになれたのです。
感謝は魔法です。
そんな、ブレイクスルーがちょっぴりできたような奇跡の3日間でした。
※ブレイクスルーについてはこちらにもう少し詳しく書いています↓
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
関連記事