社会に出て、様々な人と付き合って、団体行動をする中で、自分を抑えることが増えてきます。
子どもの頃から、集団で行動することを強いられ、みんなと同じにしなさいと教えられることが多くなります。
そうやって協調性をもって行動しないと統制がとれないとも言われます。
協調性とは何か?なぜ協調性が必要なのか?考えてみたいと思います。
協調性って何?
転職活動をしている時に、キャリアカウンセラーから、
「柔道」や「剣道」「茶道」など、「動」のつく部活などをしていた人は
必ず履歴書に記載してくださいと言われたことがあります。
動のつくことは、礼儀と協調性があるとみられることが多いからです。
そのような部活をしていなかった人は、「〇〇で多くの人と話し合いながら活動してきたため、協調性には自信があります」など「協調性」というキーワードは重要ですと言われました。
それほどまでに重要視される協調性とは、協力して調和を取っていく能力。
自分の意見を言いつつも、他人との調和を保っていくことです。
自分の意見を大切に守りながら、他人の意見を尊重して、落としどころを見つけていくって事ですね。
仮に、自分の考えに自信がないとか、他人に嫌われたくないという思いが働くと、つい、自分の意見を押し殺して他人に合わせてしまいがちです。
でも、目的達成のために、他人の意見に賛同して、自分も出来る限り努力し協力していこうという思いがなく、ただ他人に合わせるだけというのであれば、それは協調性ではありません。
協調性とは、チームワークともいえるのかも知れませんね。
協調性を重視し続けると自分が無くなる?
3人集まれば派閥が出来ると言われるように、人は同じ考えを持った人と集団になりたがります。
そして、人数の多い集団が正しいと錯覚してしまいます。
長い物には巻かれろって感覚になっていくんですね。
これが、いじめがおこる素となるのでしょうね。
集団の中で自分の意見を言うと、大勢の人から反対意見をもらうことがあります。
それでも、自己をしっかり持ち続けられれば問題ないのですが、自分に自信がなくなってくると、自分の意見を言うのが怖くなります。
人に嫌われたくない、争いたくないって思うんですね。
そんな状態で納得のいかないまま、他人の意見に合わせてしまうと、自分はダメだと落ち込み、ますます自信がなくなってしまいます。
そのうちに、他人に合わせてさえいれば、自分の心が楽だと感じて、自分の意見を殺し続けて自分がなくなってきます。
そんな自分がストレスとなり、病気に発展することもあります。
自分を押し殺すことではなく、自分自身の存在や価値観を大切にした上で、他人と合わせていく思いやりを大切にしましょう。
相手への思いやりがあれば、反対意見は自分を攻撃しているのではないと分かるし、自分と違う意見も大切に出来るので、心への負担は少ないと思います。
自分の考えに拘りすぎない
相手の意見を尊重するという事は、自己犠牲ではありません。
そのためには、自分と違った相手の考え方にも、自分の価値観を満たすということが感じられれば、相手を尊重しながら自分も満たされます。
自分の考えが間違っていると思って口に出す人はいないと思います。
だから、相手の考えを尊重しなければいけません。
相手に合わせると思うと辛いですが、相手の考えを大切にすることで、自分の価値観が満たされるのであれば嬉しいと思いませんか?
自分がどんなふうになれば嬉しいのか、どう考えれば心が喜ぶのかを大切にすれば、相手に合わせるのは決してマイナスではないです。
私は集団行動ができない子でした。
両親はそんな私を心配して、いろんな団体の中に入れて、「みんなと同じようにしなさい。協調性を学びなさい」と言っていました。
集団の中で生きること、人と協力して生きることが大切なんだと、両親のその想いから学びました。
でも、他人と同じようにして生きなければいけないと思うあまり、自分の言動は、この集団の中では大丈夫な言動なのだろうか?
変な人と思われないだろうか?など気にするようにもなりました。
そして、人の目を異常に気にするようになり、自分の意見を言う事が憚られる集団の中に入って行くのが嫌になりました。
いままで生きてきた中での考えを変えるのは、なかなか難しいです。
むしろ、変わらないと言ったほうが良いかも知れません。
だからこそ、自分自身の存在や価値観を大切にした上で、他人の価値観も尊重しながら、合わせていく術を身に付けて思いやりをもって生きていきたいですね。
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最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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