はじめまして。
ご訪問してくださってありがとうございます。
このサイトの管理人、一枝(ひとえ)と申します。
私はずっと社会の底辺や終わっていると言われるところで生きてきました。
何がどう終わっているのか分からないけれど、とにかく、現状から抜け出したいと思い、もがけばもがくほど深みにハマっていました。
そして、いつしか、この状況が当たり前になっていて、抜け出すことは不可能だと思っていました。
なぜ、みんなは、どんどんお金持ちになっていくのか? 家庭を持って新しい世界に飛び立つのか?など、不思議で仕方ありませんでした。
進んでいるようで、同じところで足踏みしている状態だったのです。
でも、ある日、自分の「最高価値」に沿って生きていくという生き方を知りました。
最高価値に生きれば、自分で指揮を執って生きることになるというのです。
最高価値に生きることを自分に許可する。
そして人に与えることをする。ジョン・F・ディマティーニ
私は、自分の「価値観」というものを知らず、世間や他人の価値観を自分の価値観だと思って生きてきました。
自分に自信がもてず、自分を卑下して生きてきたんです。
そんな生き方が楽しいはずがありません。
なぜ生きていて楽しくないのか、自分はこの世に必要のない人間なのかも知れないと思っていました。
でも、最高価値に生きていくことを決めて、自分の辿ってきた道、そして、その時の想いなどを、同じように苦しんでいる人たちと分かち合っていきたいと思いながら暮らしています。
解き放たれた社会人生活
私は、保育園の頃から人見知りで、人とちょっと違うことばかりしていました。
そんな私が気持ち悪かったのか、ずっといじめられっ子でした。
今のいじめとは違って、優しいものでしたが、それでも、その頃に傷ついた心の部分は、大人になってからも、ひょいと顔をだしてきます。
いじめで夢なのか現実なのか分からない学生生活でしたが、何とか高校を卒業して、もう学生生活はコリゴリだと思い、早々に就職。
ちょっと見学に行った会社で面接を受けなければいけなくなり、そのまま入社することになったのです。
考えれば、とっても恵まれた就職だったのですが、当時の私は、仕事は自分の好きなことをするものだと思っていました。
それなのに、思っていた仕事とは全く違う仕事に就くことに違和感を覚えていました。
それに、希望のお給料とはかけなはれていましたから(笑)。
それでも、元気に通っていました。
なぜなら、私の学生時代を知る人は誰もいなく、いじめられるかも?という不安もなく、これから私は何でもできるって思ったんです。
完全に解き放たれました。
そして、調子に乗りすぎました。
社会人生活が良く分からず、人と違う言動をしていたようです。
そのうちに途中入社の人たちが何人か入ってきて、当然のように、その人たちから爪はじきにされるようになったのです。
そうなれば、もう逃げるしかありません。
もう限界!と思うまで2年間辛抱しましたが、私を知らない人たちの中に出て行きたくて退職。
その後、何をやっても腰砕けになってしまうとも知らず、前途洋々の未来しか感じられませんでした。
心のままに後先考えずに動く
職場や人間関係から解き放たれて自由になった私は、当然のように何もせずに自宅で過ごす生活になりました。
人が働いているのを横目に、本当に何もしないで、実家で食事・昼寝・時々ゲームの日々を送っていました。
失業保険という制度も知らなかったのですが、実家なので家賃と食費は必要ないので、お金もほとんど出ていきません。
なぜ、実家にお世話になっている支払いをしなかったのだろう?
お世話になっていることに感謝できなかったのだろう?って情けないです。
でも、悠々自適の生活は、後にも先にもこの時だけでした。
半年ほどたった時、母親に「なぜ働かないのか」と聞かれ、何故だろう?そもそも、なぜ働かないといけないのだろうか?と疑問に思っていました。
そんなある日、母と祖母が「ご近所に恥ずかしい」と言ったのを聞いて、私は恥ずかしい存在なのだと知りました。
そして、ようやく転職活動を始めたのですが、どんな仕事をしたいのか分からず、そもそも仕事って何?から始まりました。
始まったと言っても、結局分からないので、ハローワークの人に薦められた会社に面接に行くことにするのですが、その時に、私が一番重視したのがお給料です。
とにかく、私をいじめていた同級生たちよりも1円でも多いお給料がもらえるところに行きたいと思って探しました。
社会に出て働き始めて3年の月日が経っているので、同級生たちは当然、昇給しているのですが、そんなことには当時の私は考えが及びませんでした。
そして、安易に決めた就職先は1年で倒産。
またも、自堕落な生活になったのです。
しかし、その時は奇跡が起きました。
「この仕事やってみたい!」と心の底から思えて楽しくワクワクする求人が目の前に現れました。
面接に行くと、あっさりと採用。
しかも、お給料はそれまでよりもずっと高いのです。
夢のような仕事に就くことができて、数年間は楽しく働いていましたが、人間関係が上手くいかなくなり、身体を壊して退職。
もうボロボロの状態でした。
夢を求めて東京に引っ越してみたものの。。。
なんだかんだあって、気が付けば転職は難しい年齢になっているにも関わらず、安定した職に就いていませんでした。
家族の介護をしていたのです。
病院に寝泊まりして母の面倒を見ていました。
でも、それも働きたくない言い訳だったのだと思います。
母の介護が私の生きる支えになっていたのですが、母が亡くなり、「もう良いよ」と言われた後は、自分の居場所がなくなった気がして、どうしていいのか分からず、途端に心細くなったことを覚えています。
どうしようかと思っていたところ、東京から転勤してきた同僚に「東京で働けばいいのに」と言われ、そっか!とひらめき、職場も決まっていないまま東京に出ました。
そして、働いた先が古い体質の会社で、合わなさ過ぎてうつ病に罹患。
もう企業に雇われるのは嫌だ!と、子供のころからの夢を追うための学びを始めて、数年間は全力を尽くしてみたけれど、夢かなうことなく断念。
何をやっているのか意味不明状態で、もう生きていく意味が分からなくなり、ただただ流されるままに息をしている状態となりました。
病院三昧の日々にアフィリエイトを知る
そんなストレスの中、今度はがんに罹患し、お金、仕事、友人、宝物…いろいろなものが無くなりました。
その時の私を支えていたのは、「借金を返す」それだけだった気がします。
夢への学びのために数百万円の借入がありました。
もう駄目だ、自己破産しかないと何度思ったか分かりません。
でも、私はファイナンシャルプランナーでもありました。
自分のお金の管理もできないのでファイナンシャルプランナー失格なのですが、自己破産をしたら、その資格自体を失ってしまいます。
それが怖くて、水面下でしずか~に返済し続けました。
治療費や何やかやに年間100万円以上支払いながら、よく返済し続けることができたと自分でも感心します。
1回4000円近くの注射を2日に1度打たなければいけないと思うと、その注射1本分だけでも!とアフィリエイトを始めてみました。
他にもアンケートサイトやポイントサイトに登録して、コツコツとお小遣い稼ぎをし、ネットオークションなどで物を売り、働きに出かけられない時でも、自宅に居ながら1円でも稼がなければいけないと必死でした。
金の亡者とはいかなくても、お金のことで頭イッパイで、どうしたら1円でも多く稼げるのかとばかり考えていました。
でも、治療しながらでは、収入の多いところに転職はできません。
職場でクビにならないように、身体が辛くても仕事にでかけ、何か悪いことをしたかのように、謝ってばかりいました。
でも、これって謝っているって意識ではなく、「ありがとう」って感謝の気持ちを持っていれば良かっただけだと分かりました。
こんな辛い思いをしながら、なぜ働かないといけないのか?今まで何をやっていたのか?と自分が情けなくて泣きながら職場に通っていました。
覚悟と信念がなくてチャンスを逃す
不思議なもので、病気治療の間は「元気になったら…」って希望が出るんです。
もっと働きたい。同じ体験をしている人たちとつながりたい。できれば、みんなの話相手になりたい。
家族に会いに行きたい。お墓参りをしたい。など、考えていると、早く治療を完了させるんだって勇気になりました。
そして、病気治療が一段落したら、今度は私が同病の人たちの力になるのだと考え、ピアサポートやHPでの情報発信を考えました。
ピアサポーターの資格を取り、HPを開設し、準備万端。
それを知っていたかのように、当時のことを教えて欲しいとマスコミからのインタビューなど受けて、これからやるぞ!と意欲満々でした。
それが、同じ活動をしている人たちと出会うたびに、私の未熟さ知識のなさ、薄れていく治療の記憶などの不安が襲ってきて、既に、いろんな人がやっていて、私なんかよりも素晴らしいサービスを提供している。
だから、私がやらなくても良いのでは?と思い始めました。
いつもの逃げです。
当時の闘病ブログにも嫌がらせのコメントがくるようになり、何もかもに自信がなくなってきて、ダメな事ばかりに目がいくようになってしまいました。
そして、何も進めなくなった時に思い出しました。
「わたし、借金を返済するのが先決だ」と。
強い信念があれば、返済しながら、「病気に苦しむ人たちの役にたつような活動」も続けられたのだと思います。
私には、もっと自分自身に自信を持って、誰かを助けたい!それで進んでいくのだ!という覚悟と信念が欠落していたのです。
そうやって、やろうと決めて温めて、ようやくチャンスがきたことから逃げてしまったのです。
懲りない私は同じことを繰り返し、持ち直すためにキッカケを探す日々
逃げてコツコツと地道にアルバイトを掛け持ちして、数年かかって借金を完済。
ようやく、これからだと思った時に、またも身体を壊しました。
精神的な病はずっと続いていたのですが、心が整わないので身体もバランスを崩し、何から手を付けて良いのか分からない状態になってしまいました。
それで、いったん仕事をお休みすることにしたのです。
アルバイトを減らして、身体の負担のない生活をしようと思ったのですが、仕事を減らしたところ、今度は全くやる気がなくなり、引きこもり生活となってしまったのです。
最初は何とかなると思っていたのですが、そのうち、何ともならなくなってきました。
外に出る気持ちはなく、ただ部屋の中で息をしているだけなのに、家賃や光熱費などお金がかかり続けます。
でも、借金を完済したばかりで預金はゼロ状態。
時間が短いお仕事をしようと思って面接に行くのですが、やる気がないのを見抜かれてしまうのか、なかなか採用に至りません。
何社も落ち続けると、ますます自分は世の中には必要ないのではないだろうか?と自分を追い込んでいきました。
なのに、相変わらず働く気力や働く場所はなく、次第に生活費がなくなってきて、引っ越そうにも引っ越し費用はない、路上生活をしようにも、その気力すらありません。
やる気を起こしたくて行政に相談に行ったのですが、行政は心のケアはしてくれません。
生活保護は受けたくないので、結局、自分の生命保険から借り入れをしての生活になりました。
プチうつ状態ですね。
心療内科に通ったのですが、「あなたは十分に頑張っているし頑張ってきた。私が出来るのは、症状を和らげることで、それでやる気が出るか分からない」と言われるばかり。
医師は症状を和らげることが仕事なので仕方のないことです。
どうすれば気力が出るのか、このままでは本当に孤独に果てるだけだと焦るばかりで、自分のやる気をあげるための「キッカケ」を外に求めていたのです。
そして、そのキッカケはどこにも見つからず、「誰も私を助けてくれない。もう駄目だ」と思う日々が続き、次第に「キッカケ」を探すのも止めました。
どうでも良くなってきました。
「なるようにしかならない」「ここで果てるのも仕方ない」と。
何度も、ベランダから飛び降りる夢を見ました。
夢を見た夜が明けると、ベランダから下を見ながら考えます。
このベランダから飛んだら、真下に落ちるんだろうか?
頭から落ちるんだろうか?足から落ちるんだろうか?
足から落ちたら、意識がなくなるまで苦しいだろうな…。
歩いている人の上に落ちたら困るな…。
落ちていく間に何か考えるんだろうか…。
など、考え出したらキリがありません。
でも、そんな状態の中、現実に戻ってこられたのは、愛するX Japanのおかげです。
もう一度、会いたい。ライブに行きたい。
その一心でした。
だから、引きこもり生活でも、X Japanのライブだけには外出していたのです。
結局、そんな生活が2年以上続き、ある日、1冊の本との運命的な出会いがありました。
こんな私でも生きていて良いのかも知れない、何かできることがあるのかも知れないと思い始め、奇跡を信じられるようになってきたのです。
「愛と感謝」があれば、この世の中に怖いものはないのだと知りました。
そして、一歩踏み出す勇気ができました。
誰にでも輝ける居場所があります
ここまで長々と書き連ねた、私の情けなく生きてきた道をお読みくださってありがとうございます。
思えば、私は、ずっと自分の居場所を探して生きてきました。
その居場所が分からなくなった時に、自分が存在している理由が分からなくなり、世の中に絶望していました。
居場所が欲しいってことは、日々、安心して幸せに暮らしたいって願いです。
幸せへの一本道があれば良いのですが、あいにく人生というのは、そうは上手くいかないようです。
でも、いろいろ道に迷い、回り道しながらでも、最終的には幸せになれれば良いんですよね。
私は、家の外に一歩出るのが大変でした。
足が震えるほどの勇気が必要でした。
あなたも、新しいことを始める時など、一歩が怖いって思う時はないですか?
それでも、その一歩踏み出す勇気があれば、空は美しく、眩しい人たちの中でも、ありのままの自分で生きていけます。
良いも悪いもありません。
人は誰でも、そのままで素晴らしいのです。
情けない私も、そのままで良いのだと、もっと早く思えることができたのなら良かったんだと思うのですが、それは所詮、結果論です。
この長い回り道があったからこそ、今が輝いているのです。
あなたも、時々、得体の知れないものに心が支配されることがあるかも知れません。
それでも、軌道修正の仕方さえ心得ていれば、何も怖くありません。
世の中、奇跡であふれています。
あなたの周りの数々の奇跡と愛にふれながら、今ある当たり前に感謝して、一緒にあなただけの居場所を作り出していきましょう。
そのために少しでもお手伝いができれば嬉しいです。
最後までお読みくださいましてありがとうございました。